海外でも大人気を誇る【Vikings: War of Clans】(ヴァイキング:クランの戦争)

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第3問



つぎの(A)・(B)各問に答えよ。解答は,答案用紙(イ)の欄に,はじめに(A)・(B)の記

号を附して記入せよ。なお,句読点もます目1字分を用いて記すこと。



(A)下記の語句のうちより7つをえらび、それらを用いて、19世紀における鉄道の発

達について、8行(280字)以内で記せ。1つの語句を何度用いてもよいが、最初に用い

たときに下線を付して明示せよ。



産業革命  ヨークシャー  電力  鉄血政策


3B政策  3C政策  金融資本  財貨の流通


鉄工業  ロシアの東方経営  西部開拓


(B)帝国主義のもとで従属的地位におかれたアジア・アフリカ・ラテンアメリカなど

の社会(解答ではこれを簡略に表現して従属地域の社会ということばを用いてもよい)

において、そこでの鉄道建設はどのような効果や影響をもたらしたといえるか。いろ

いろの角度から眺めて考えをまとめ、10行(350字)以内で述べよ。自分の考えをまと

めるに当って、以下の(a)〜(i)の文章をよく吟味して読み、参考にすること。こ

れらの文章は、さまざまの異った時代・問題関心・立場において、従属地域での鉄道

の意義・役割を論じた議論の例である。



(a)世界の鉄道の発達は、下の表で明らかなように、(ウ)と(エ)の地域で最近も

っとも著しい。だが、合衆国・イギリス帝国・ロシア・ドイツ・フランスという5強国

の鉄道の延長が、おのおのの植民地の分まで含めると、世界の鉄道の全長の80%にも

達している事実や、さらに合衆国・ロシアの鉄道でさえ、イギリスとフランスの百万

長者が握っているという事実を忘れてはならない。



(b)今や東三省(中国東北)の鉄道はすでにロシアの手に帰した。もしイギリスが香

港と漢口とを鉄道で連絡することになれば、国家の形勢はあやうい。


(c)南満洲鉄道会社は、名義上、一民間会社であるが、同時に鉄道経営のみならず行

政的権限をも併せもっており、日本政府がこれを純粋に経済的企業などと考えたこと

は、一時たりともなかった。


(d)この鉄道の建設に対していかなる態度をとるべきか、ヨーロッパ各国の世論は激

しくゆれた。けっきょくイギリス政府は資本参加を拒否したが、ロシアとフランスと

はそれぞれ、北部イランとシリアとにおける鉄道敷設権とひきかえに、この計画を認

めた。1899年イギリスがクウェートの首長と条約を結び、イギリスの承認なしに他国

との外交関係を開かないように約束させていたのは、この鉄道建設計画の進行を予想

した対抗的布石なのであった。


(e)アルゼンチン経済の特色は、大土地所有下の農場・牧場がイギリスに輸出するた

めの食肉・小麦を生産しているところにある。イギリス系の鉄道はこれら農牧場をも

っぱらブエノスアイレスに結びつけている。その結果アルゼンチン経済の発展は、む

しろ妨げられ、ゆがめられているのである。


(f)1909年には、インドに3万マイル余の鉄道が開通し、3億4千万人の旅客と7000万

トンの貨物を運んだ。鉄道は、インド全域の住民に、鉄道なくしては考えられなかっ

たような活動の刺激を与え、しかもイギリスの軍事力をすこぶる増強したのである。


(g)運河建設のための財政投資はすぐ収益をあげはじめたのに、鉄道建設はいつまでた

っても大きな財政負担を残したままだ。こんな状況では、インドのような農業国の統

治者は、鉄道より運河の建設に力を入れそうなものだ。だがイギリス人は鉄道の方が

好きで、インドにとって何が必要かということについて判断を誤った。イギリス工業

界はことに、運河より鉄道の方が、ずっと早くインド内陸部を自己の商品として開い

てくれるものと期待した。こうしてインドでは、当面の必要性を超え、資源の力に余

るような規模で、どんどん鉄道が建設されたのに、灌概工事の方はおろそかにされて

きたのである。


(h)げんに、鉄と石炭をもっているインドに、いったん鉄道を導入したとなると、そ

れを維持するために日々必要とされる資材調達・修理のための工鉱業発展をおしとど

めることはできなくなる。となると、やがて鉄道に直接関係のない工業部門でも、機

械が応用されるようにならざるをえない。そこで、インドにおける鉄道網は、まさに

近代工業の糸口となるであろう。


(i)1919年のエジプトの反英独立運動では、各地で鉄道が切断された。駅や電信設備

を襲撃して破壊する、村民こぞってレール・枕木・電柱を運び去る、そして復旧作業

のイギリス軍を攻撃する、というように。しかし他方、民衆が鉄道を制圧し活用する

こともあった。ただ乗りで列車の屋根まであふれた大衆が、停車駅ごとに周辺の村々

の村民と大交歓集会をひらいていった、3月18日の事件などがそれである。

























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